本稿は連載A第1回(ワット・ビット連携と電力の「質」の問題)を前提とします。ここでは「物理AIの実証拠点」に必要な4つの条件を整理した上で、国内外の先進事例を検討し、薩摩川内市構想の骨子を示します。
物理AIとは何か
物理AIとは、デジタル空間でのテキスト処理や画像生成にとどまらず、センサーとアクチュエーターを通じて物理世界に介入するAIです。自動運転・産業用ロボット・ドローン・スマート農業機械など、「動くものすべてをAIで具現化していく」という方向性は、NVIDIAのジェンスン・フアンCEOがCES 2025で明言し、2026年3月のGTC発表でも量産規模への移行を宣言しました。
ファナック・ABB Robotics・安川電機・KUKAなど合計200万台超の導入実績を持つ産業用ロボット大手が、NVIDIAのIsaac SimやOmniverseを実際の製品開発・検証に組み込んでいます。
物理AI実証拠点の4条件
図2. 物理AI実証拠点に必要な4条件——4要素が一か所に揃うことで相乗効果が生まれる
要件1:電力——ベースロード電源直結のAIデータセンター
連載A第1回で論じた通り、高性能GPUを常時稼働させるAIデータセンターは、太陽光・風力の間欠性電源では対応が難しく、原子力・地熱などのベースロード電源との親和性が高い。物理AIの開発には大規模なシミュレーション処理(NVIDIA Cosmos等の世界モデル学習)が不可欠であり、AIDCへの安定した電力供給が研究速度に直結します。
要件2:通信インフラ——IOWNと海底ケーブルによる国際接続
物理AIの実証拠点が「孤立したフィールド」では不十分です。世界の研究者・企業がアクセスし、学習データ・モデルウェイトを高速に転送できる通信基盤が必要です。
NTTが推進するIOWN(Innovative Optical and Wireless Network)は光電融合技術を基盤とする次世代通信基盤で、2023年にAPN IOWN 1.0が商用化され、2025年にはIOWN 2.0が始動しています。実証実験では400Gbpsの通信において2つのデータセンターを1ミリ秒未満の遅延で接続することに成功しており、2026年度中には光電融合型スイッチ(PEC-2)の商用提供が開始される予定です。
| 海底ケーブル | 関連事業者 | 対象地域 | 状況 |
|---|---|---|---|
| MIST | 複数事業者 | 日本〜インド〜シンガポール | 2025年サービス開始 |
| Candle | ソフトバンク他 | 日本・台湾・フィリピン・シンガポール等(24ファイバーペア) | 2028年運用開始予定 |
| I-AM Cable | NTTデータグループ・住友商事 | 日本〜マレーシア・シンガポール(総事業費1,500億円規模) | 2026年1月 新会社設立 |
2024年8月にはNTTと台湾の中華電信が日本〜台湾間でIOWN APNを活用した世界初の国際間オールフォトニクスネットワークを開通しました。九州は台湾まで約1,200km、シンガポールまで約4,900kmという地理的近接性を持ち、これらのケーブル網のハブとして機能する立地にあります。
要件3:物理空間——大都市圏では不可能な実証フィールド
物理AIの研究には「実際に動かせる広い空間」が必要です。自動運転モビリティの長距離実証、産業用ロボットの24時間連続自律稼働、農業ロボットの圃場実証、ドローンの広域飛行——これらは大都市圏の過密な交通環境・プライバシー保護規制・地価の高さによって事実上不可能です。
要件4:計算資源の民主化——低廉なAIDCへのアクセス
物理AIの研究における現実的なボトルネックの一つは「計算コスト」です。NVIDIA Cosmosのような世界モデル学習や、Isaac SimによるAIロボットのシミュレーション・トレーニングは、高性能GPUサーバーを継続稼働させる必要があり、大学研究室やスタートアップにとって費用面での制約が大きい。ベースロード電源直結の低廉なAIDCが地域内に存在することは、「計算資源の地産地消」を可能にします。
国内外の物理AI実証環境:ケーススタディ
海外事例1
NVIDIA GTC / Isaac Lab エコシステム
NVIDIAは2026年3月のGTCで、Cosmos 3(世界基盤モデル)とIsaac Sim/Lab(シミュレーション・学習フレームワーク)を中核とする物理AIエコシステムを発表しました。このアーキテクチャには「デジタルツイン上での学習」から「物理フィールドでの実証」へのギャップが存在し、現実環境での大規模実証を行えるフィールドの整備が国際的な競争軸になっています。
海外事例2
SpaceX Starbase(テキサス州南端)
宇宙開発の文脈ですが、地方の広大な土地に世界から研究者・技術者を集積させた実証拠点として先例を示しています。重要なのは「他では不可能な実証条件を持つ土地が、世界レベルの人材を引き寄せる」という構造です。
国内事例1
九州工業大学 脳型計算機研究
九州工業大学はニューロモルフィックAIハードウェア(脳型計算機)分野で国際的な研究実績を持ちます。超低消費電力で物理世界と連動できる次世代AI処理基盤の研究は、AIDCの設計と直接的に関連します。
国内事例2
国土交通省「自動運転社会実装推進事業」
2025年度、重点支援13件・一般支援54件の計67件が採択されています。ただし、これらは既存の地方道路での実証が中心であり、ロボット・ドローン・AIデータセンターを統合した「総合的な物理AI実証環境」ではありません。この点に、専用フィールドを持つ拠点整備の意義があります。
薩摩川内市「次世代GX・物理AI研究都市」構想の骨子
上記4条件の観点から、薩摩川内市構想の骨子を示します。
| 条件 | 薩摩川内市の対応アセット |
|---|---|
| 電力 | 川内原子力発電所(出力178万kW)の近接立地。首都圏で深刻化している系統空き容量不足がなく、大規模電力需要に対応できる数少ない国内立地の一つ。 |
| 通信 | 九州の地理的優位性(台湾まで約1,200km)を活かし、IOWNのAPN網および建設中の海底ケーブル(Candle、I-AM Cable等)と接続。ソニーネットワークコミュニケーションズ(SNC)との連携が通信インフラ接続を担う。 |
| 空間 | 旧川内火力発電所跡地(久見崎地区)の広大な既存敷地。AIDC用地・物理AIテストフィールド(Living Lab)・物理AIアカデミーのキャンパスを一か所に集約できる規模。 |
| 計算資源 | MidokuraのAFaaS(AIFactory as a Service)基盤技術による超分散型AIDCを構築。地域の企業・研究者・スタートアップへの計算資源のオンデマンド提供。鹿児島大学・九州工業大学・地元高専との教育連携。 |
重点実証分野(当面):
- リサイクル自動化——AIロボットによる太陽光パネル等廃棄物の高速自動選別・処理
- スマート農林水産業——農業ロボット・養殖管理AIの圃場実証
- スマートモビリティ——自動運転車・ドローンを活用した防災・物流・原子力防災高度化
これら3分野は「地域に産業上の需要がある」「既存インフラを転用できる」「AIDCとの接続によってリアルタイム処理上の価値がある」という3条件を満たす分野として選定しています。
注:本構想は現在事業計画の精査段階にあります。上記は設計思想と方向性を示したものであり、確定した仕様ではありません。
出典資料一覧
本連載の技術・政策・制度に関する記述は、以下の一次資料に基づいています。
-
GX2040ビジョン(2025年2月18日 閣議決定)— 経済産業省
https://www.meti.go.jp/policy/energy_environment/global_warming/gx2040vision.html -
GX産業立地ワーキンググループ 第4回事務局資料(2025年8月5日)— 内閣官房GX実行推進室
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/gx_jikkou_kaigi/sangyoritchi_wg/dai4/shiryo.pdf -
GX政策の現状と今後の方向性(2026年2月)— 経済産業省GX投資促進課
https://www.scj.go.jp/ja/event/pdf4/392-s-0218-s4.pdf -
中央防災会議 首都直下地震対策検討ワーキンググループ 被害想定報告書 — 内閣府
(首都直下地震の経済損失約95兆円試算の根拠資料) - 経済安全保障推進法(2022年施行)に基づく特定重要インフラ基本方針 — 内閣官房
- AI基本戦略(統合イノベーション戦略推進会議決定)— 内閣官房
-
NTT技術ジャーナル「光技術によるコンピューティングの革新〜IOWN 2.0、3.0への進化〜」
https://journal.ntt.co.jp/article/37949 -
NTT「世界初のIOWN国際間オールフォトニクス・ネットワーク(日本〜台湾間)開通」(2024年8月)
https://journal.ntt.co.jp/article/30163 -
CSIS "The Strategic Future of Subsea Cables: Japan Case Study" — 戦略国際問題研究所
(日本の海底ケーブル陸揚げ局の地理的集中と分散化の必要性を指摘) -
ソフトバンク「光海底ケーブル"Candle"建設合意」(2025年9月)
https://www.softbank.jp/corp/news/press/sbkk/2025/20250922_01/ -
NTTデータグループ・住友商事「海底ケーブルI-AM Cable新会社設立」(2026年1月)
https://www.sumitomocorp.com/ja/jp/news/release/2026/group/20690 -
NVIDIA GTC 2026「Cosmos 3・Isaac Sim/Lab フィジカルAIエコシステム発表」(2026年3月)
https://blogs.nvidia.co.jp/blog/nvidia-and-global-robotics-leaders-take-physical-ai-to-the-real-world/ -
PwC Japanグループ「フィジカルAI×汎用ロボット躍進の本質」(2026年3月)
https://www.pwc.com/jp/ja/knowledge/column/physical-ai-robotics/general-robot-progress-future.html